総理大臣として、戦後の日本の復興の礎を築いた吉田茂が幼少期から89歳で亡くなるまで住んだ邸宅です。
初代が晩年に構えた別荘「寿楽庵」庭園と二代目による安田靫彦画伯設計の持仏堂等の善次郎記念建物があります。
大正元年に貿易商・木下建平により建てられた別荘。設計者は米国帰りの日本人であり現存する日本最古のツーバイフォー工法の住宅で、国の登録有形文化財です。
【明治記念大磯邸園】
伊藤博文内閣の外務大臣として不平等条約改定に辣腕を振い、「カミソリ大臣」と呼ばれました。明治27年大磯に別荘「聴漁荘」を建てました。
第8、17代総理大臣、早稲田大学創設者で知られる大隈氏が、明治30年構えた別荘と日本庭園があります。
現存する洋風建築は、西園寺公望公から譲られた別荘の跡地に昭和7年に建てられたもの。池田成彬は三井財閥筆頭常務理事として三井財閥を立て直した人物です。
大磯丘陵の東端にある標高168mの山。広葉樹の自然林は、高麗山県民の森に指定されハイキングコースになっている。名称は、高句麗からの渡来人に由来するといわれる。
日本初の海水浴場であり、国民の健康増進のために初代軍医総監だった松本順先生が開いた。また照ケ崎海岸の岩場はアオバト(青鳩)の飛来地として有名である。
「あおばと」は、丹沢の森林に生息し、夏から秋にかけて大磯照ケ崎海岸の岩場に飛来して海水を飲む(ミネラル補給のため)。大磯町の鳥に指定されている。
崇雪が西行に因んだ草庵と「湘南発祥の地」の標石、後にその地に大淀三千風が建てた俳諧道場がある。
島崎藤村が亡くなる前、約2年間住んだ家である。三間の小宅であるが書斎と広い縁側のあるこの家を藤村はこよなく愛し、昭和18年『東方の門』執筆中に倒れる。
昭和23年に社会福祉法人エリザベス・サンダースホームを設立し混血児の母となり養育に尽くした澤田美喜の遺志により建てられたもので、隠れキリシタンの収集家として知られた彼女が残した千点に近い遺品が展示されている。
かつて三井総領家の別荘であったが、現在は「神奈川県立大磯城山公園」になっている。鬱蒼とした樹木に覆われ、秋には紅葉のライトアップで賑わう庭園です。
大磯海水浴場の開祖で、大磯発展の礎を築いた松本順の功績と恩を伝えるために昭和4年建立された。
大磯町国府地区で5月5日に行われる祭礼です。平安時代に相模国の主要五神社を国府にある総社六所神社に併せ祀った故事にもとづく。神奈川県無形民俗文化財に指定。
国指定の重要無形民俗文化財。家内安全、無病息災を願い、毎年1月の小正月に催される地域の守り神・セエノカミサン(道祖神)を祀る火祭りである。
高来神社の夏季例大祭。古代朝鮮から大磯に上陸したといわれる渡来人伝説にもとづき、二隻の船形の山車が街に繰り出します(隔年)。
「さかなの朝市」やクラフトやフードなど約190店舗が大磯港に集まる神奈川県下最大級の朝市である。
かつて柳田大明神と称し、出雲国から移住した人々により祀られた。養老2年(718)総社の宣下を受け、現在地に遷座した。相模一之宮から五宮格の平塚八幡宮まで六社の神を祀ることから六所神社という。
かつて渡来人が上陸したといわれる古代のロマンを秘めた神社で、高麗寺として繁栄したが明治元年神仏分離令で高麗神社となり、その後高来神社に改称した。
1461年開山の日蓮宗の寺。日本で初めて海水浴場を開いた松本順(初代陸軍軍医総監)の墓を始め、福田恒存、樋口季一郎等の墓がある。
836年創建の東寺真言宗の古刹であり、境内には梅の古木約20本に囲まれた島崎藤村夫妻の墓がある。
日蓮宗の寺で、寺伝によると鎌倉時代の初め、仇討ちで名高い『曽我物語』のヒロイン「虎御前」が十郎亡き後開いた寺といわれている。境内には虎御前誕生にまつわる「虎御石」が祀られている。